アトランタ生まれ、シカゴ育ちのカニエ・ウェスト(Kanye West)は、2000年代初めにロッカフェラ・レコード(Roc-A-Fella Records)のプロデューサーとして広く知られることになる。数多くのアーティストの楽曲を制作し、“チップマンク・ソウル”スタイルを確立させた。
2004年には、ラッパーとしてのメジャーデビューアルバム“The College Dropout”をリリース。評論家からの評価も高く、商業的成功を収めた。この成功を受けてデフ・ジャム・レコーディングス(Def Jam Recordings)の傘下に“GOOD Music”を設立した。史上最も影響力のあるミュージシャンの一人と評価されている。
また、ヒップホップの偉大なアーティストの一人としても賞賛されている。ローリング・ストーン誌が2020年に発表した「史上最高のアルバム500枚」にカニエのアルバムが6枚選ばれている。同誌は彼を「史上最高のソングライター100人」にも選出。2005年と2015年にはタイム誌が発表した「世界で最も影響力のある100人」に選ばれている。 フォーブスは2021年時点でのカニエの純資産を18億ドル(約2,000億円)と推定している。
カニエのファッション業界への取り組み
キャリアの早い段階で、カニエはファッションへの関心と衣料品デザイナーとして活動したいという願望を明らかにした。2005年9月、カニエは「グラミー賞を受賞し、”Late Registration”(カニエの2ndアルバム)をリリースしたから、来春にファッションブランドを立ち上げる準備ができている」とコメント。2006年春にブランドを立ち上げると発表した。
ファッションブランド「フェンディ」のインターン生になる
2009年、カニエはストリート系高級ファッションブランド「オフホワイト」の創業者・故ヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)と共にフェンディのインターンに参加。ラジオ番組“Hot 97”のインタビューでカニエは、「毎日職場に行き、歩いて(スーパーバイザーのために)カプチーノを買いに行く」とフェンディでのインターンを振り返り、他のインターン生と同じ経験をしたと語っている。当時、フェンディの会長兼CEOであったマイケル・バーク(Michael Burke)は「彼らに月500ドル(約5万円)払ったよ!」と語っている。マイケル・バークは2012年にルイ・ヴィトン(Louis Vuitton)の会長兼CEOに就任した。
幻のブランド“Pastelle”、ナイキとのコラボ
カニエは故ヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)や、当時ルイ・ヴィトンのメンズアーティスティックディレクターだったキム・ジョーンズ(Kim Jones)ら業界の著名人の協力を得て、2009年に“Pastelle”を立ち上げる予定だった。
カニエ自身によって様々な作品の予告が発表されたが、最終的には2009年に計画が中止された。同年に開催された“MTV VMAs 2009″で、歌手のテイラー・スウィフト(TAYLOR SWIFT)の受賞スピーチをカニエが妨害。この行為に対して非難が集中し、カニエの名誉も失われることになる。結果として自身のブランド“Pastelle”の立ち上げも頓挫することになった。
2009年にカニエはナイキとコラボして「エア・イージー」(Nike Air Yeezy)をリリース。ナイキとしては初の“アスリート以外とのフルコラボレーション”として注目され、「エア・イージー」と「エア・イージーII」が発売された。
「パリ・コレクション」デビュー
2011年10月、カニエは“Dw by Kanye West”をパリ・コレクションでデビューさせた。2007年に亡くなった自身の母ドンダ・ウェスト(Donda West)の敬意を表している。(Dwは母Donda Westの頭文字)カニエの“パリコレ・デビュー”に対する評価は、The Wall Street Journal, The New York Times,など、その他多くのメディアによって酷評され、ネガティブな評価を受けた。
翌年、カニエは二度目のパリ・コレクション(2012-13秋冬)に登場。多くの評論家が「前回よりもはるかに改善した」と評価しカニエを賞賛した。
Yeezyブランド誕生
遡る事2006年、発売には至らなかったがアディダスのためにカニエが靴をデザインした経緯があった。2013年、Nike Air Yeezy 2s “Red October”をリリース後、カニエはナイキとのパートナーシップを解消。この件についてカニエは「心が痛む」と表現した。カニエはナイキがシューズデザインのロイヤリティを支払わずに、慈善団体に収益の一部を支払うと申し出たと主張している。
カニエは2013年にアディダスに乗り換え、2015年にYeezyブランドを正式にデビューさせた。数ヶ月にわたる憶測の末、Yeezy Season 1は2015年2月のニューヨーク・ファッションウィークで世界にお披露目された。アディダス・オリジナルズとの待望のコラボレーションは、ミリタリーにインスパイアされた衣服で構成され、ベージュ、アーミーグリーン、ネイビーブルーを中心としたカラーパレットが披露され、2015年10月29日(木)に世界同時発売された。
Yeezyは、その独創性が評価されただけでなく、アディダス×Yeezyのスニーカー“Yeezy Boost 750”を誕生させ、初のロートップ・スニーカー“Yeezy Boost 350”を世に送り出した。この10年を代表するスニーカーとなり、Yeezy史上でも画期的な出来事となった。
Yeezy × Gapのコラボレーション
2021年6月、待望のYeezyとGapのコラボレーションが発表された。カニエはフェンディでデザインを学んだだけではなかった。Gapのデザイナーであるパトリック・ロビンソン(Patrick Robinson)のもとで、非公式ながら共に仕事をし、ファッションビジネスへの洞察を深めた。「YEEZY GAP」からの最初の作品は、鮮やかなブルーのラウンドジャケットで、発売後ほぼ即座に完売し非常に好評を博した。
GAPとのコラボレーションは10年間の長期契約で、ナイジェリア系イギリス人デザイナーのモワローラ・オグンレシ(Mowalola Ogunlesi)がデザインを担当する。彼女は過去にドレイク(Drake)やナオミ・キャンベル(Naomi Campbell)など、セレブのためにオリジナル作品をデザインしたことがある。
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